Masuk「お申し出は嬉しいのですが……」
ウェルシェがたおやかに微笑むと目の前の貴族令息は息を飲んだ。あまりに幻想的な妖精の笑貌で、見惚れて言葉を失ったようである。
「私には婚約者がおりますの。もう声をかけるのはお止めくださいませ」
だが、その愛らしい口から紡がれたのは辛辣な拒絶の言葉。
「ま、待ってくれ。あんな婚約者よりも俺の方がよっぽど……」
「
慌てた令息の失言に、ウェルシェの笑顔と声の温度が一気に氷点下へと下がった。
「私の婚約者が我が国の第二王子エーリック様と知っての発言ですの?」
もちろんご存じですよね、とウェルシェが念を押せば、さすがに令息は自分の迂闊さに気がついた。
「い、いや、今のは言葉のあやで……」
「どうやら、あなたは王家に対して叛意をお持ちのようですわね」
ウェルシェの静かな恫喝に令息は青くなって逃げだした。その背中を見送りながらウェルシェの可愛らしいピンクの唇の間からため息が漏れる。
「どうしてあの方達はしつこく誘ってこられるのかしら?」
今の少年だけではない。他にも多数の令息から相変わらずウェルシェは言い寄られていた。
「ウェルシェは美人だし、グロラッハ侯爵家との縁は魅力的だからじゃない?」
そう答えたのは、ウェルシェが学園で初めて作った友人のキャロル・フレンド伯爵令嬢である。
キャロルは特別美人ではない。だが、栗毛色のくせっ毛に琥珀色の瞳を持つ彼女はとても愛嬌があって親しみやすい。
キャロルは貴族にしては裏表がなく、打算なくウェルシェに気安く接してくれた。ウェルシェもそんな彼女を気に入り、仲良くなるのに時間はそうかからなかった。
「ですけど、私には婚約者がおりますわ。殿方のお誘いを受けられるはずもありませんのに」
ウェルシェは自分の価値を正しく理解している。家柄、美貌、才能、ウェルシェを構成する全てが結婚相手として
それでも婚約者がいるならば、言い寄られるはずもないだろうと考えていた。
ところが、ウェルシェの思惑に反して、いくら断っても諦めない者が未だに多い。そんな彼らの思考がウェルシェにはどうにも不可解でならなかった。
「ウェルシェほどの好条件よ。多少の無理は承知の上なんでしょ」
「私の婚約者は第二王子のエーリック様ですわよ。王家を敵に回すおつもりですか!?」
どう考えてもリスクとベネフィットが釣り合わない。損得勘定と合理的思考が基本のウェルシェはいよいよ混乱した。
「それほどウェルシェが魅力的なのよ。なんせマルトニア学園3大美少女の一角なんだから」
入学早々、ウェルシェは学園の話題を掻っ攫った。
一年に儚げな妖精の如き絶世の美少女が入ってきたと……
おかげで入学式以来、ウェルシェは『妖精姫』とか『白銀の妖精』とか噂されている。今ではマルトニア学園三大美少女などと訳の分からない分類にカテゴライズされていた。
「それなら、なぜイーリヤ・ニルゲ様には誰も言い寄らないんですの?」
「ああ、イーリヤ様かぁ」
一学年上のイーリヤ・ニルゲ公爵令嬢もマルトニア学園三大美少女の一人である。
「イーリヤ様はとてもお美しい方ですし、文武共に秀でた才女でもありますわ」
しかも、魔力量は学園歴代トップであり、魔術の腕もかなりのものだとウェルシェは聞いていた。
「ご自分で商社も経営なさっていて私財もかなりのものとか……」
情報収集に余念の無いウェルシェは当然イーリヤの履歴も調べている。その調査報告を見たウェルシェはあまりの完全無欠っぷりに度肝を抜かれたものだ。
(あの方に誰が勝負できるっていうの?)
優秀な成績を修めているウェルシェも自分の能力に自信はある。それでも化け物じみたイーリヤには勝てる気がしない。
そんなスーパーレディのイーリヤを何故か男達は敬遠している節がある。
「明らかに私よりも条件は良いですのに」
「イーリヤ様は……何と言うか近寄り難いじゃない?」
イーリヤを思い浮かべてキャロルは苦笑いした。
「気さくな方と伺っておりますが?」
「うん、まあ、そうなんだけどね。あの方は自信家の俺様系オーウェン殿下の婚約者だし、本人は本人で迫力美人の上にとても気が強そうだし……」
しかも、剣でも魔術でも学園内で彼女に勝てる者は誰もいないのだから、確かに言い寄るのは命懸けに思える。
「それに引き換えエーリック殿下は……その、少しぽやってしてるし」
「私の婚約者なのに失礼ですわ!」
ここにカミラがいれば「自分も頼りないって仰ってたくせに」と言いそうだが、ウェルシェにとって他人から言われるのは許せないらしい。
「ウェルシェはおっとりした生粋のお嬢様って感じだからつけ入る隙があると思われているんでしょ」
「私がそんな簡単に
ウェルシェは眉を寄せてむぅっとむくれた。
幻想的な美少女がそんな愛らしい
彼らの気持ちを理解できないウェルシェにキャロルは苦笑いを禁じえなかった。
――ドンッ!オーウェンが怒りに任せて拳を激しく机に叩きつけた。「どうして分かってくれないんだ!」今回の裁定に対し、オーウェンは憤りを隠せない。「父上も母上も貴族主義的で人の心を理解していない!」荒れるオーウェンに気づかわしげな視線を向ける男達がいた。「落ち着いてください殿下」眼鏡を掛けた怜悧な印象を受ける青髪の美形――サイモン・ケセミカ。ケセミカ宮中伯の長男であり幼少期は神童とおだてられ育った英才である。だが、イーリヤやレーキに遅れを取り成績不振に陥った。その為、一時は家の期待に応えられないと悩み苦しんだものだ。そんな彼に人の価値は学業だけではなく、能力は学校の成績だけでは測れないと気づかせてくれたのがアイリスである。「そうだぜ、俺達は最後まで殿下の味方だ」赤髪の精悍な美丈夫であるクライン・キーノンは騎士を目指す裏表の無い真っ直ぐな少年だ。しかし、彼の強い正義感が裏目に出て騎士クラス内で孤立していた。そんな愚直な性格も素敵なのだとアイリスに誉められ立ち直れた。「ケヴィン先輩は心配だけど、まだ猶予はあるんじゃないかな」実年齢よりちょっと幼なく見える白銀の髪と赤い瞳のアルビノの少年コニール・ニルゲ。彼はオーウェンの婚約者イーリヤ・ニルゲの義弟である。彼は能力を買われて分家より養子となった。しかし、背も低く実年齢よりも幼く見える童顔のせいで侮られ、自分の容姿に強いコンプレックスを抱いていたショタ系美少年である。アイリスは容姿で差別す
「何よ、ザマァって?」聞き慣れぬ言葉にきょとんとウェルシェは首を傾げた。「近ごろ巷間で流行っている恋愛小説のテンプレでございます」「恋愛小説ぅ?」「まあ、お嬢様には無縁のものでございますね」「失礼ね。私だって年頃の娘よ!」ウェルシェの主張にカミラが疑いの目を向ける。「ですが、お嬢様は恋愛より謀略とか陰謀とかの方が好きですよね?」「大好きよ!」胸を張って答えるウェルシェに忠実な侍女はため息が漏れでた。外見は妖精姫、中身は謀略好きのおっさん。それがウェルシェである。妖精のような美姫でありながら、恋愛には一切興味のない貴族令嬢――それが残念腹黒令嬢ウェルシェ・グロラッハである。「お嬢様にも、もう少し恋愛にも興味を持って欲しいのですが」「貴族令嬢は政略結婚が基本よ。恋愛なんて必要ないじゃない」恋愛なんて飯の種にもならないわ、と真顔で言う残念なお嬢様にカミラのため息が止まらない。「私、本当にエーリック殿下が憐れでなりません」カミラの見立てではエーリックは本気でウェルシェに恋してる。だと言うのにお相手のウェルシェは言動だけの恋愛に残念な見た目詐欺令嬢なのだ。「いいでしょ、エーリック様も幸せそうなんだし」「まあ、知らない方が幸せって事もありますよね」ウェルシェの本性を知ったエーリックの絶望する顔が想像できてしまう。「それでザマァって何よ?」「今回お嬢様がセギュル様やオーウェン殿下になさったようなことです」王子様役の男を巡ってライバルの令嬢
「それでは、学園でまたお会いできるのを楽しみにしておりますわ」「あ……う、うん……また……」ウェルシェからお色気攻撃を不意打ちで食らい、エーリックがフラフラと地に足がつかない状態で帰っていく。「あらあら、エーリック様、大丈夫かしら?」その背中を見送りながらウェルシェはくすくす笑った。「あれはやり過ぎだったのではありませんか?」ウェルシェがチラリと背後を見やれば、カミラが半眼を向けていた。「ん、何の事?」だが、ウェルシェは頬に右手を添えて可愛い仕草ですっとぼける。「そんな可愛い子ぶっても私には無意味ですよ」「むぅ、カミラも可愛いの好きでしょ?」ウェルシェが口を尖らせた。そんな子供っぽい態度も愛らしく、同性であってもくらりときそうだ。「ええ、小さい頃のお嬢様はお可愛らしく、モノホンの妖精でございましたのに……」カミラはハァっとため息を吐き出して、どこで間違ったのかと嘆いた。「何よ、今だって私はカワイイでしょ。学園じゃ『妖精姫』って呼ばれてるんだから!」背中に美しい羽根が見えるって言われてるんだからと、カミラの前でウェルシェはクルリと回って見せた。拍子にふわりとスカートが舞う。その軽やかな姿はとても幻想的で絵本から美しい妖精が出てきたよう。「最近の妖精にはコウモリの羽と悪魔の尻尾が生えているとは存じ上げませんでした」だが、
「――と言うわけで兄上の進言は退けられたんだ」エーリックは裁定の場での仔細をウェルシェに誇らしげに語った。ここは、いつものグロラッハ家の庭園の中にある四阿。ウェルシェが王妃オルメリア主催のお茶会で色々やらかしてから一週間以上が過ぎていた。あの後、非公式ながら国王と王妃の名の元に関係者が集められた審議の場が設けられた。そこで自分の主張が通って無事ウェルシェとの婚約が継続となりエーリックは少し自信をつけたらしい。「しかも、僕らの婚約は父上と王妃殿下の後ろ盾を得られたんだよ」実際はウェルシェの暗躍のお陰なのだが、それを知らないエーリックは胸を張った。男の子は好きな女の子には格好良く見られたいものなのである。「これでセギュル先輩がウェルシェに言い寄ってくる事もなくなるはずさ」「ホントですの!?」報告を聞いたウェルシェは両手を顔の前で合わせて喜んだ。そのあざと可愛いポーズで朗らかに微笑むウェルシェの姿はまさに妖精姫そのもの。エーリックは自分の婚約者は世界一可愛いとだらしなく相好を崩した。「王妃殿下が僕達の婚約への一切の干渉を禁じたから、学園でウェルシェにちょっかいをかける者はいなくなると思うよ」「さすがエーリック様ですわ」男を手の平の上で転がす腹黒令嬢は追い打ちヨイショを忘れない――それがウェルシェ・グロラッハである。「いやぁ、僕は大したことはしてないさ」実際こいつは大したことはしていない。「そんなことありませんわ。私とても恐い思いをしておりましたの」しなを作って
――カシャン! オルメリアは手にした王笏の底部で床を打った。 もう、これ以上聞くことはないとの意思表示だ。「オーウェン、お前は多くの失態を犯しました」「わ、私に何の落ち度があるというのですか?」未だにオーウェンは自分達以外の者こそ間違いを犯しており、それを正そうとしただけだと思っている。だから、オルメリアの非難は心外そのものだった。「第一に、今回の婚約話は私が提案したものです。そこにエレオノーラやエーリックの意思は介在していません」「で、ですがケヴィンは……」「よってエーリックがグロラッハ嬢に圧力をかけたとの言い分は全て事実無根です」オーウェンはごにょごにょと言い繕おうとしたが、オルメリアはまったく取り合わない。「第二に、ケヴィン・セギュルの狼藉をお前が一方的に擁護した件。これに関してはウェルシェ・グロラッハより直接抗議を受けました」「そ、そんなはずは!?」「私が直に彼女から聞いたと申しているのです」ピシャリと断言されてオーウェンはグッと口を噤んだ。「また、ケヴィン・セギュルの王家への叛意とも取れる発言を擁護もしましたね。こちらも本人からだけではなく、多数の証言を得ています」「ケヴィンの発言は王族へではなくエーリックの暴虐への苦言であり諫言です!」「王族ではなくエーリックの、ですか……つまりお前はエーリックを王族とは認めないと?」オルメリアの声が絶対零度にも届きそうなほど冷え冷えとした。母の感情が消え去った声にオーウェンの背筋が凍った。「い、いえ、今のは言葉のあやで、決して私にそのような意図は……」
「黙るのはお前の方だ」国王ワイゼンは若くして戴冠した。その在位年数は十年以上にも及ぶ。若輩の身でその重責を負いながら大過なく国を治めてきた。その彼にとって経験の浅い息子の威圧など何の重みも持たない。「ち、父上!」現国王のプレッシャーにオーウェンはたじろいだ。「都合が悪くなれば怒鳴って黙らせようとするとは、なんと底が浅い……母は嘆かわしいですよ」それからもう1人。彼の母、王妃オルメリアもである。彼女は国王を助け、国体を守ってきた。彼女にとってオーウェンの怒声など、仔犬がキャンキャン喚いているのとなんら変わらない。「母上まで……」二人にぎろりと睨まれ、先程まで居丈高だったオーウェンは情け無いほど震え上がった。「この件に関し全てをオルメリアに一任する。オルメリアの言葉は我が言葉と心せよ」ワイゼンは手にしていた王笏をオルメリアに貸し与えた。この場の全権を任せるとの意思表示である。「今回の騒動はエーリックとウェルシェ・グロラッハの婚約だけが問題ではありません」王笏を手にしたオルメリアは前へと進み出て壇下のオーウェンに厳しい視線を向けた。「ゆえに関係者一同に集まってもらいました」既に事情を知っている者もいるようで、顔色を悪くしている。「まずは一番の問題であるケヴィン・セギュルですが……」オルメリアがちらりと視線を送った先にいたのはケヴィンの父セギュル侯爵。彼は有罪判決を受ける被告人の如く
「もちろん、エーリック様をお慕いしておりますわ」ウェルシェは自信満々で(のもたらしてくれる富)と副音声に入れた。嘘は言っていない。「ふふふ、今のは嘘くさぁい」「もう!」「ごめん、ごめん」プイッとウェルシェはむくれてそっぽを向く。キャロルが笑いながら謝罪すると、ウェルシェは横を向いたまま横目で彼女をチラッと見るとため息をついた。「キャロル、私
「ウェルシェは押しに弱そうなだからねぇ」キャロルの指摘にウェルシェはちょっと複雑な気分だった。擬態を解けば男共をあしらうのは訳ない。(だけど、今の私のイメージでは強く出られないしなぁ)エーリックの好みを演出する為のイメージ作りが仇となっている。それはウェルシェ自身も理解はしていた。だが、こればっかりはどうにもならない。「それにウェルシェを強引に口説こうとしている筆頭はオーウェン殿下の側近だし」「ケヴ
――マルトニア学園入学式の日校門から校舎へと続く道にスリズィエの花びらが舞う。奥へと更に奥へと進めば、入学式が執り行われている大講堂へと続く。その中には今年入学する新入生とその保護者が集まっていた。「新入生代表ウェルシェ・グロラッハ」式が進行していく中で、一人の少女の名前が呼ばれた。「はい」凛とした声が講堂の中に響いた。
「なんなのよ、あの男どもは!?」いつもは人を食ったような態度で余裕綽綽のウェルシェが、らしくなくウガァーッと喚き散らした。その叫び声にカミラはそっとため息を漏らす。「私は面白おかしく学園生活を送りたいだけなのに!」ウェルシェがマルトニア学園に通うようになって三ヶ月が過ぎた。学園生活の出だしは上々。優秀なウェルシェにとって、学業関係や学園行事を卒なくこなすのは造作もない。お得意の猫かぶりで問題なく気の合う友人も作れた。そう、全ては順風満帆……のはずだったのだが、一つだけウェルシェに誤算があった。「どうして、言い寄る男が絶えないのよ!」つまり、エーリックの危惧していた通りになってしま







